« 女性性の枷 | トップページ | 上位5%の徒然 »

2018.01.21

君の膵臓をたべたい

『君の膵臓をたべたい』
衝撃的な結末。このタイトルに、あなたはきっと涙する。
と、少し前に世間を賑わせていた作品。
漫画で知ってたけど、今日映画も観たので改めて所感を。


誰しも平等で、全ての人の1日の価値は同じ。
どれほど語られてもなかなか実感できないことを、
嫌でも突きつけられる作品だと思う。
たとえ私が今の境遇にいなかったとしても、
恐らくは色々と考えさせられたに違いない。

私と同じく臼蓋形成不全だったお母さんは、
(遺伝性なので正確には私が受け継いだ形)
亡くなる4ヶ月前と半年前の2回、手術を受けた。
経年劣化の激しいこの病症により歩行困難になりかけたから。
内容は簡単に言えば股関節部位に補助器具を入れ込み、
関節の稼働をスムーズにするといったもの。
術後しばらくは激痛の残るこの手術に2度も耐え、
秋頃には「今までの痛みが嘘のようにラクに歩ける」と、
「色んな場所へ旅行してみたい気持ちを取り戻した」と、
そんなようなことを嬉嬉として零していた。

主人公と同じように、私は甘えていたんだ。
やっと痛みから解放されて、生き生きとし始めた母は、
これからはもっと自由な人生が待っているのだと、
これからはもっと色んな場所へ一緒に歩いていけるのだと、
そんな甘えを。
明日が来る保証など、誰にもないのに。


もうひとつ、この作品で大きな核となるのは、
「全ては運命ではなく、それぞれが選択してきた結果。
私たちはお互いの意思で出逢ったんだ」という話。
正直、なんて救いのない考え方なんだろうと思った。
『運命』として逃げた方がずっと気楽なはずで、
だから多くの人がカミサマに縋ってしまうわけで。
過去現在未来の全責任を自分で背負うなんて、重いもの。
「今」をつくったのは他でもなく自分自身なんだと、
わかってはいても、良くも悪くも残酷な言葉だ。

きっと、いや絶対に、もっと『最善』があったはずだと、
1年経った今でもまだ、苦しい思いに囚われ続けている。
他人の命を奪った監獄囚や病室を占める老人たちは、
異変があればすぐに最適な治療が施されるのに、
どうして救急車で1時間も放置されなきゃならなかったのかと、
そんな非生産的な憤りを感じて仕方のない日もある。

でも、そう、これらは全て私が選んできた結果であり、
当然ながらお母さんが選んできた結果でもある。
「今までこの世界で生きてきた全ての人の選んできた結果!」
と言い張れば『運命』のようにも聞こえるが、
残念ながら私も、そこまで『運命』には頼れない。
自分で自分の首を絞めることになっても、向き合うしかない。


『君の膵臓をたべたい』
解釈は千差万別だと思うけど、私は良い作品だと思う。
こんな言葉を贈りたいと思うような人に出逢えたらいいね。


このブログの常連の人も、通りすがりの人も、
私と出逢ったのはお互いの選んできた結果。
それを『運命』と呼ぶかは人によるだろうけど、
どんな名前であれ、良い選択だったら嬉しい。
いや、良い選択になるように生きたいよね。
「また今度」があるとは限らないからさ。


« 女性性の枷 | トップページ | 上位5%の徒然 »